日本人はなぜ家族に「こんにちは」と言わないのか

日本人はなぜ家族に「こんにちは」と言わないのか

国立国語研究所・広島大学名誉教授 迫田久美子

家族に向かって「おはよう」と言うのに、「こんにちは」と言わないのはなぜ――。日本語を学ぶ外国人たちの素朴な疑問や、ありがちな間違いの背景に、実は日本語ならではの特性が隠れているという。私たちがふだん、当たり前のように使っている日本語の知られざる一面に、国立国語研究所、広島大学の迫田久美子名誉教授が光を当てる。

「ワリバシになりたい」

「将来、日本と私の国のワリバシになりたいです!」「先生、もう少しびっくり話してください」――。日本語を勉強する外国人は、さまざまな間違いをします。上記の例では「架け橋」や「ゆっくり」の間違いだとすぐにわかりますが、「先生、コーヒー、飲みたいですか?」「先生、コピーしてほしいですか?」などの表現は、文法的には間違いとはいえません。しかし、年下の人などにこう言われると、少し不快に感じる人もいるのではないでしょうか。

その理由は、丁寧さに問題があるためなのですが、では、「どんな問題なのですか?」と質問されても、明確に答えることは難しいと思います。一方、日本語を学ぶ外国人からは、こんな質問も受けます。「『おはよう』は家族に使うけど、『こんにちは』は使わない。なぜですか?」。皆さんなら、どう答えますか。

こうした外国人の日本語に対する疑問や誤用の背景などに考えを巡らせると、日本語のある特徴が浮かび上がってきます。ふだん何気なく使っている私たちの母語の不思議さと奥の深さを、一緒に探ってみましょう。

「飲みたいですか?」にイラっとする理由

まず、「先生、コーヒー、飲みたいですか?」「先生、コピーしてほしいですか?」といった表現について考えましょう。

「~たいですか」や「~ほしいですか」は、願望疑問文と呼ばれ、一般的には年上の人やあまり親しくない人に使うと失礼になります。それは話し手が、聞き手の感情領域に踏み込んでしまうと考えられるからです。元来、「~たい」や「~ほしい」は、話し手に関してしか使えない表現です。

× 彼は外国へ行きたい(→行きたがっている)

〇 私は外国へ行きたい

英語の「Do you want to~?」はよく使われますが、正しい日本語表現では、聞き手が年上の人や親しくない人の場合、その感情をこちらが推し測って言語化するのは失礼になるのです。

「タメ口」の若者が増えている

ところが、最近では、年上の人に対して「先生、コーヒー飲みたい?」などとタメ口ぐち(対等の相手に対することば使い)で話す学生もよく見かけます。本来は、「先生、コーヒー、いかがですか?」とか「コピーしましょうか?」と言うべきところですが、親しい友人同士では「コーヒー、飲みたい?」「これ、コピーしてほしい?」などの言葉が日常的に使われるほか、学生に親近感を持たせたがる教師が、むしろ「タメ口」で話しかけられることを喜ぶ場合もあるため、外国人にとっては正しい使い方を覚えるのが難しくなっていると言えるでしょう。

家族に使う?「こんにちは」と「こんばんは」

次に、「おはよう」と「こんにちは」の問題を考えてみましょう。

日本語の挨拶は、朝が「おはよう」、昼は「こんにちは」、夜は「こんばんは」が一般的です。しかし、「おはよう」は家族間で使えますが、「こんにちは」「こんばんは」は家族間では使えません。電話で話す際や久々に顔を合わせる場合でも、家族同士が「こんにちは」「こんばんは」と声をかけることはありません。その理由は、それぞれの言葉の語源にあると考えられます。

語源にはいくつかの説がありますが、ここではその一つを紹介します。「こんにちは」は「今日こんにちは、ご機嫌いかがですか」の後半が省略された形式として発達し、対外的な挨拶として定着しました。「コンニチワ」と発音しても、「こんにちは」と書くのはそのためです。同様に「こんばんは」も「今晩は、お邪魔します」「今晩は、寒いですね」など、対外的な挨拶として用いられました。それぞれ身内同士で使うことはなかったと考えられます。

これに対して、「お早はよう」は、「お早く〇〇ですね」の「お早く…」が語源で、「朝、早いですね」と共感し合う意味で用いられるので、家族間でも使うことができます。毎日使う挨拶の言葉も、実は、聞き手が身内かそれ以外かで使い分けているのです。

ちなみに、芸能界など特定の業種で、夜でも「おはようございます」と言うのは、その日、最初に出会った時に使う挨拶として定着しているからだと言われています。

感謝の気持ちは「ありがとう」か「すみません」か
外国人からの質問には、こんなものもあります。「どうして、日本人はお礼を言うのに『すみません』と謝るのですか?」「『すみません』と『ありがとう』はどう違いますか?」。

次のケースでは、皆さんはどちらを使って返事をしますか?

(1) あなたが試験に合格したので、友人が「合格、おめでとう!」と言ってくれた時

(2) 同じ場面で、友人が「合格、おめでとう!」と大きな花束をプレゼントしてくれた時

(1)の返事は、「ありがとう」を使い、「すみません」は使わないのが普通でしょう。しかし、(2)の場合は、「わっ、すみません!ありがとう!」などと、「すみません」を使う確率がぐんと上がると思います。次に、

(3) バスを降りる際、運転手さんに声をかける時

(4) 大きな荷物を持っていて降りるのに苦労していたら、運転手さんが手伝ってくれた時

(3)では、「すみません」ではなく「ありがとうございました」だと思いますが、(4)は、まず「どうもすみません」。そして、「ありがとうございました」と続けるのではないでしょうか。

これらの事例からもわかるように、一般的な感謝の気持ちを伝える場合は、「ありがとう」ですが、「花束のプレゼント」や「運転手さんが手伝ってくれたこと」に対しては、感謝と同時に、相手に余分な負担をかけてしまったことへの「お詫び」の気持ちも表そうとするのが普通です。この使い分けでもやはり、聞き手との関係がポイントになっています。

子供を「ボク」自分を「おじさん」…なんのため?

「どうして日本人の夫婦は、お互いに『お父さん』『お母さん』と呼び合うのですか?」。何気ない家族の会話も、外国人には不思議に聞こえるようです。また、日本では、大人が知らない子供に「ボク、何歳?」などと尋ねますが、これも英語に直訳すれば「How old am I ?」となり、変な意味になってしまいます。

これらは、日本語の人物呼称の特徴です。日本語では、話し手が幼児などの年少者の場合、話し手が聞き手の立場に立って、その視点に合わせるという「共感的同一化(empathetic identification)」が働きます。「ボク、何歳?」と言うのは、実は、聞き手の子どもが考えやすく、答えやすい言い方で尋ねているのです。妻が夫に対して、「お父さん、ご飯ができたから、子どもたちを呼んでくださいな」と言うのは、母親が子どもの立場に立って話しているからです。また、迷子の子どもに「おじさんが、一緒にママを探してあげよう」とか、自分の息子に「父さんの言うことが分からないのか」と話すのも、聞き手である幼い子供の視点で話しているからだと考えられます。

振り返ってみてください。「~たい?」「~ほしい?」などの表現がふさわしくないのは、聞き手の感情領域に踏み込んではいけないからでした。「おはよう」と「こんにちは」の挨拶は、聞き手が身内かどうかで使い分けていました。お礼を言うときの「すみません」は、負担をかけた相手にお詫びの気持ちを表すため。つまり、外国人が不思議がる言葉遣いの多くは、実は「聞き手」を意識した日本語ならではの表現であると言えるのです。

「曖昧さ」に隠された気配り

外国人はよく「日本語は曖昧だ」などと言いますが、実はこれも同じように説明することができます。

「今日はちょっと……」とか「すみません、今、取り込んでいるので……」など、日本語では最後まで言い切らないことがよくあります。こうした言葉を聞くと、外国人は「何が言いたいのかわからない」と言います。

確かに、英語や他の言語には訳しにくい表現かもしれません。しかし、場面や文脈が理解できる日本人なら、最後まで言わなくても、話し手の意図が理解できます。そして、これらの話し手は、最後まで言わないことで、聞き手への配慮を表していると言えるのです。

飲み会に誘われた際に「今日は歯医者に行くので、飲み会には行けません」とか、電話を受けた時に「今は忙しいので話せません」などの否定的な言葉で断ると、相手の感情を害する可能性があります。そうした表現を避けることで、良好なコミュニケーションを図る。これも聞き手に不快感を与えない工夫と言えるでしょう。日本語が曖昧なのではなく、日本人が聞き手への配慮から、あえて言葉を曖昧に使っていると考えられます。

このように、外国人が不思議に感じる日本語の表現には、実は日本人の細こまやかな気配りが隠されています。つまり、「おもてなし」の心が潜んでいる、と言えるのではないでしょうか。

参考文献

白川博之(監)庵功雄,高梨信乃,中西久実子,山田敏弘(2001)『中上級を教える人のための日本語文法ハンドブック』スリーエーネットワーク.

鈴木孝夫(1973)『ことばと文化』岩波新書.

プロフィル

迫田 久美子( さこだ・くみこ )

1950年、広島県生まれ。広島大学、国立国語研究所教授を経て、現在、両機関名誉教授および国立国語研究所客員教授。研究分野は日本語教育学・第二言語習得研究。主な著書は『日本語学習者の文法習得』(大修館書店、2001)『日本語教育に生かす第二言語習得研究』(アルク、2002)石黒圭・五味政信(編)『心ときめくオキテ破りの日本語教授法』(くろしお出版、2016.)。

 


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