インプラント

 

インプラントについて

インプラントの歴史は非常に古く、その起源は紀元前といわれています。今よりも硬いものを食べていたといわれる古代の人たちも、歯の喪失に悩まされ、人工の歯根を顎の骨のなかに埋める方法を考えついたのでしょう。人類にとって、インプラントは夢だったのです。しかし、つい最近まで、インプラントによる治療はごく一部で行われていたにすぎませんでした。なぜなら、しっかりと顎の骨のなかに埋まるインプラントが存在しなかったからです。インプラント治療が広く行われるようになったのは、チタン製インプラントが登場した1960年代以降です。それまでエメラルド、鉄、金、サファイア、コバルト・クロム合金、ステンレス、アルミニウムなど多様な素材が有望視され、しかし結局は期待通りの結果を出すことができず、淘汰されていきました。現在、インプラントといえばチタン製を指し、おそらく今後も、チタンは主流でありつづけると思います。なぜなら、チタンは他の素材に比べて非常に優れた特質を備えているからです。その特質とは「骨と結合する」ということです。金属とからだの一部である骨がくっつくなんて信じられないと思われるかもしれませんが、科学的に立証された明白な事実です。このチタンの登場によって、インプラントに大きな飛躍が訪れたのです。チタンと骨が結合することを発見したのは、スウェーデンの学者で、応用生体工学研究所所長のペル・イングヴァール・ブローネマルク教授です。話は1952年。当時、ブローネマルクは、スウェーデンにあるルンド大学の医学部で、骨が治癒する過程で骨髄がどのような役割を果たしているかについて研究していました。

ある日、ウサギの脛骨(すねの骨)にチタン製の生体顕微鏡用の器具を埋めこみ、内部を観察する実験を終えて、その器具を取り外そうとしたところ、不思議なことが起きました。強く引っ張っても器具が骨からなかなか離れないのです。よく見ると、骨と器具のネジがぴったりとくっついていました。器具はチタン製でした。これ以前に使っていた別の金属でできた器具では、骨と癒着したことなど一度もなく、ブローネマルクは「チタンは骨とつく」という性質を初めて知ったのです。しかし、当時はこの性質を何かに応用できるとは考えなかったようです。 1960年、イエテボリ大学の解剖学教授となったブローネマルクは、血液循環の研究に取り組みはじめました。生体内において血球がどのような働きをしているのかを探るために、今度は人間を対象とした実験に着手し、チタン製の生体顕微鏡用の器具を被験者の上腕に埋めこんで、血流の観察を試みたのです。この実験をきっかけに、ブローネマルクは、チタンの新たな性質に興味を抱くようになりました。それは、チタンが骨だけでなく、軟組織(結合組織、上皮など骨以外の組織を軟組織といいます)に対しても親和性が高いという性質です。またこの実験装置は、骨とは接触しておらず、軟組織に埋めこんでありました。観察は数か月にも及んだのですが、取り外したあとの軟組織には何の異常もあらわれていなかったのです。つまり、チタンは生体に拒絶されなかったことを意味します。この偶然の発見から、ブローネマルクはチタンがさまざまな医学領域に応用できる可能性があると考え、イヌの顎にチタン製インプラントを埋め込む実験を開始、数年にわたって繰り返し行った動物実験の結果から、チタン製インプラントが骨と強固に結合することを確信し、これを「オッセオインテグレイション(osseointegration )」と名づけました。Osseoとは「骨の」、integrationとは「結合」を意味します。そして1965年、いよいよ人間への応用に踏み切ったのです。

1965年ひとりの患者から始まった。
ブローネマルクシステムの臨床の歴史は1965年か始まります。
第一号患者であるヨスタ・ラーソン氏がブローネマルクシステムの長期臨床実験の生きた証人です。
ブローネマルクシステムはオッセオインテグレーションインプラントのグローバルスタンダードとして、40年以上の臨床実績を持ち世界中の臨床家から、支持・信頼されています。
他に例を見ない長期に渡る研究開発期間、また、多数の科学的論文などから、Evidence Based Medicine (E・B・M)を語れる唯一のインプラントシステムであると言えます。
P.I.ブローネンマルク教授がブローネマルクシステムの開発者で、全てのインプラント治療の規範をつくりました。


多摩市永山 亀山歯科 東京都多摩市貝取1-17-3
京王永山駅,小田急永山駅より徒歩8分

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